ジープの思い出

戦後の子供たちは、今のようにプラモデルがないので、その辺の木々を呼び寄せ、釘で、たたいて車や舟をつくっていました。当時はやっていたのは、進駐軍が乗っているジープでした。子供心にジープに乗っている米人が、まぶしく見えて、自分も一度は、乗ってみたいなと思ったものでした。自分は乗れないので、少なくともジープが作れたらなと思っていたら、木で作るジープが模型屋さんにおけることがわかりました。やはり欲しかったので、親にせがんで買ってもらいました。それはそれは心地よくて、一気に組立を通して、組み上げました。そうして、友達に自慢し遊んだものでした。それを機に、アメ車が好きになり、更に映画等で生まれるキャデラックには憧れたものでした。将来、著しくなったら、絶対にキャデラックに乗るぞという。結果的には、その夢は叶いませんでしたが、子供心にそれほど誓ったものでした。長じて、大学時代に免許をとりましたが、外車よりもトヨタ、日産をはじめとした国産車が台頭してきて、車は、国産車についてになっていました。はからずも新天地が自動車会社で、誠にジープを日本で、つくって掛かる会社でした。当然知らずに入ったのですが。図面は、アメリカのものを日本語にしたもので、技術屋でなかったのものの、ようやくそれを見た時は子供時代を思い起こし、わくわくしたものでした。その部品を外注して買い取る購買の仕事をしていましたが、毎年、旧防衛庁からの依頼で、700台近くつくっていました。あの独特の色も特殊な塗料で、特別に発注したものです。昔憧れたジープの、本物をつくっておさめられるは、夢にも思いませんでした。ミニバン